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「掛軸 山本梅逸」
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掛軸 山本梅逸

山本梅逸

大胆な構図と繊細な筆遣いで描かれる花鳥図で、日本美術の歴史を塗り替えていった大人物が掛軸買取 山本梅逸です。文人画家として名を馳せ、数々の有名作を打ち出し続けていきました。そんな山本梅逸は、1783年に名古屋天道町に生まれます。父親が、彫刻師山本有右衛門ということもあり、その美的センスには、長けていたということが言われています。困窮した生活も送りながら、母親が和歌の手解きをしてくれた、というエピソードも残っています。さて、そんな山本梅逸なのですが、幼少の頃より絵画へ興味を持ち合わせており、山本蘭亭に支持をしていきます。この山本蘭亭は、山本梅逸の類い稀なる才能にいち早く目をつけ、張月樵に入門をさせます。この張月樵が、山本梅逸の人生を変化させる大きなキッカケとなったのです。当時の豪商神谷天遊の庇護を受けながら、同家に所蔵されていた、中国古画の臨模の許しを得ます。この場所で大きく成長を遂げて行った山本梅逸は、恩師の神谷天遊の他界後、師友であった竹洞と共に京都へと赴くことになります。様々な寺院に伝わる明清の古書画を数々臨模していくだけでなく、楊文聰の山水画を購入し続けるなど書画の収集にも傾注をしていきました。新しい日本画の世界を切り開こうと、血気盛んに挑みはしたものの、当時の京都画壇は酷く落ちぶれており、結果竹洞の父の訃報をキッカケに名古屋へと戻っています。しかし、京都画壇が盛り返しを見せていったこと、再度山本梅逸は京都へと戻り、書画会の出品に力を注ぎます。大阪や京都での人気に火がついた山本梅逸は、年収を200両となるほどに大きな成功を納めていくことなったのです。花鳥図と山水画を主とした山本梅逸は、四条派の持つ繊細で細やかな筆遣いで、古画書を上回る美しさの作品を描き続けました。独特の表現方法と、その荒々しさもまた魅力であると多くの人々にも有名です。掛軸買取においても、山本梅逸の作品は高価買取として知られています。多くの功績を残し続けた希代の文人画家、山本梅逸。成功を納めながらも、自惚れることなく、自らの信じる芸術を貫き通していったのです。

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